ロッキー・ザ・ファイナル
もう一度夢を見たくなる映画として真っ先に思い浮かんだのが今作でした。
『ロッキー・ザ・ファイナル』は2006年に公開されたシルヴェスター・スタローン監督・脚本・主演のドラマ映画。
『ロッキー』シリーズとしては年に公開された『ロッキー5』以来年ぶりの新作となりました。今のところ『ロッキー』シリーズとしては事実上の最終作となっています。
今作のロッキーはボクサーを引退し、かつ老境にも差し掛かった男として描かれます。
妻のエイドリアンを亡くし、息子とはギクシャクした関係となり、経営するレストランで客にかつてのボクサーとしての日々を語るばかりでした。
すっかり過去に生きる男となってしまったロッキーですが、ある時、テレビ番組で若き自分と現ヘビー級王者のディクソンの試合が組まれるのを目にします。
試合はロッキーの勝利でしたが、それに懐疑的なコメンテーターの声にロッキーは自らの中にまだボクシングへの情熱が残っていることに気づきます。
「年を取るほど失うものも多い、残ったわずかなものまで奪わないでくれ」
再起を決意したロッキーですが、年齢を理由に、ロッキーへのボクシングのライセンス付与を渋る連盟。そんな彼らに訴えかけるロッキーのセリフです。
老境に差し掛かったロッキーの挑戦に対する最も厚い壁は肉体の衰えではなく、周囲や息子の冷ややかな視線でした。
けれども、ロッキーは人生を自分で切り開く大切さを息子に伝えます。
初めて今作を観たのはまだ20歳そこそこの時でしたが、歳を重ねるほどにより深みを持って迫ってくる作品だと思います。
まず間違いない名作映画です。
ザ・マジック・アワー
『ザ・マジック・アワー』は2008年に公開された三谷幸喜監督、佐藤浩市主演のコメディ映画です。
街を牛耳るマフィアのボスの愛人との浮気がバレてしまった備後(ビンゴ)は、許してもらう代わりに、伝説のヒットマンであるデラ富樫を探し出すように厳命を受けます。
しかし、デラ富樫は誰もその姿を見たことがないという謎の男でした。
備後は売れていない俳優の村田大樹を映画の撮影だと騙し、デラ富樫としてボスに引き合わせます。
備後の想像を超えてどんどんボスに気に入られてしまう村田大樹。
しかし、とうとう村田大樹はその素性を気づかれぬまま、ある人物の殺害命令を受けてしまいます。
タイトルの「マジック・アワー」とは、陽が落ちた直後、まだ明かりは明るいものの、光源がないため、影が出なくなる魔法のように美しいわずかな時間のこと。
監督の三谷幸喜はマジックアワーという言葉を前作「THE 有頂天ホテル」のときに知ったといいます。
売れない役者、村田大樹にどんなマジックアワーが訪れるのか。
不器用で夢にひたむきな中年男に訪れた、人生で最も輝く時間。三谷幸喜の脚本力が素晴らしいおすすめ映画です。
プラダを着た悪魔
『プラダを着た悪魔』は2006年に公開された、監督、アン・ハサウェイ、メリル・ストリープ主演のドラマ映画。VOGUE誌の伝説の編集長といわれる、アナ・ウィンターが、モデルだといわれています。
マイ・インターン
こちらもアン・ハサウェイ出演の作品。2015年のアメリカ合衆国のコメディドラマ映画。監督・脚本・製作はナンシー・マイヤーズ、出演はロバート・デ・ニーロとアン・
『マイ・インターン』は
グッド・ウィル・ハンティング
『グッド・ウィル・ハンティング』は年に公開されたガス・ヴァン・サント監督、マット・デイモン
エド・ウッド
『エド・ウッド』は1994年に公開されたティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演のドラマ映画。
「史上最低の映画監督」として名高い(?)エド・ウッドの半生を描いた作品です。
才能にも恵まれず、映画監督としての名声を得ることもなく、貧困とアルコール中毒で亡くなったエド・ウッド。
ティム・バートンはそんなエドウッドの半生を喜劇的な作品として描き出しました。
若き日のエド・ウッドはオーソン・ウェルズに憧れ、自分もいち早く彼と同様の成功を掴み取りたいと願っています。
彼は
スクール・オブ・ロック
『スクール・オブ・ロック』は2003年に公開されたコメディ映画です。
バンドをクビになったデューイは職を求めて自分の身分を偽り小学校へ教師として赴任する。
だが、元々がロックバカのデューイは
エリザベスタウン
『エリザベスタウン』は2005年に公開されたキャメロン・クロウ監督、オーランド・ブルーム主演の恋愛映画。
大手シューズメーカーに勤めるドリューはデザインしたスニーカーが大コケ。
会社に巨額の損害を与えたドリューは会社をクビになり、恋人にも振られ、自殺を考えるほど追い込まれますが、そんな時に父の訃報を妹から知らされ、故郷のエリザベスタウンへ戻ることに。
その飛行機の中でキャビン・アテンダントのクレアと知り合い、ドリューは次第に生きる意欲を取り戻していきます。
一般的に評価はそう高くない作品ですが、個人的には好きな作品です。
ちょっとストーリーが陳腐だとか、クレアのキャラクターがドリューを支えるためのみに存在しており、彼女自身の人生や目標が見えない(このような「自分自身の目的を持たず、男の子を支えるだけの女の子のキャラクター」に対して「」という言葉も誕生しています。ちなみにその言葉が生まれたきっかけも『エリザベスタウン』のクレアのキャラクターを言い表すため)とか、そういう批判や弱点は確かにごもっともと思う面もありますが、映画だからこそちょっとくらいはありえない夢を見せてもいいのではないかとも思いますね。