概要
『ロボコップ』は1987年に公開されたポール・ヴァーホーヴェン監督、ピーター・ウェラー主演のSF映画。
あらすじ・ストーリー
近未来、犯罪都市となったデトロイトでは警官の殉職が相次ぎ、ストライキ寸前の状況になっていた。
新しく赴任してきた警官のマーフィーはコンビを組むアンとともに犯罪組織のクラレンス一味を追うが、彼らの反撃によりマーフィーは虐殺されてしまう。
一方の警察の親会社であるオムニ社ではこの状況を打破しようとロボット警官が開発されるが、重役会議でのデモンストレーションで謝って社員を殺害してしまう。
その実態に乗じて、オムニ社のモートンはもう一つのロボット警官、ロボコップの開発を会長に進言する。
ロボコップには生きた生体組織が必要だったが、マーフィーの遺体を組み込むことで、ロボコップは完成する。
抜群の機動力と正確性を持つロボコップだったが、アンはその正体がマーフィーではないかと疑念を深める。
そして、ロボコップ自身も自我が芽生え始め、マーフィーとしての記憶を取り戻していく。
感想・解説
1980年代を代表するSF映画の一つだが、今日において『ロボコップ』が評価されているのは、面白さと同時にその遠慮なしの残酷描写の潔さにもあるのだろう。
ロボット警官のED-209が社員が死んでなおその体に銃弾を撃ち込んだり、マーフィーの右手が吹き飛ばされ、当店に銃弾を撃ち込まれたり、小さな子供が観たらトラウマ必至のレベルだ(とはいえ、当時小学生が見るような雑誌でも『ロボコップ3』などは特集されていたことから、『ロボコップ』も『ウルトラマン』と同じような特撮ヒーローというイメージだったのではないかと推測しているが)。
ちなみにヴァーホーヴェンによると、ED-209やマーフィーの殉職シーンはもっと残酷なカットがあったそうだが、レーティングの問題もあり泣く泣くカットしたそうだ。
『ロボコップ』はキリストがモチーフになっている。マーフィーが最初に右手を吹き飛ばされるのは、キリストも磔刑のときにそこへ釘を打ち込まれたからだ。
キリストは死の3日後に復活するが、マーフィーも同じく復活を遂げる。だが、人間としてではなく、機械としてだ。
だが、機械としてのロボコップもまた死ぬ。自らの属するはずの警官隊にモートン殺害の容疑者として一斉掃射を受けたからだ。重体の彼を連れ出し、匿ったのがアンだ。アンはロボコップの、マスクを外し、再びマーフィーとしてのアイデンティティをロボコップは取り戻していく。
ただ、その隠れ家もクラレンス達に嗅ぎつけられ、ロボコップらとクラレンス一味は最後の戦いに挑む。クラレンスとの一騎打ちに挑むロボコップはまるで水面を歩いているように見えるが、これはヴァーホーヴェンはキリストの奇跡を再現するように、水中に板を置き、あたかも水の上を歩いているかのように見せかけたのだという。
ヴァーホーヴェンはキリストはキリストでも「アメリカのキリスト」を描こうとした。舞台になっているデトロイトも映画が製作された1980年代には荒廃し、実際に犯罪都市になっていた。
そんな世界のキリストは赦しを与える存在ではない。
なぜ、これほど執拗にヴァーホーヴェンは暴力を描くのか。ヴァーホーヴェン曰く、それが現実だからだという。
確かに当時のレーガン政権下ではスター・ウォーズ計画などソ連に対抗し軍拡に舵を切っていた。
またヴァーホーヴェン自身もナチス占領下のオランダで幼少期を過ごしており、連合軍の爆撃によって道端に死体が転がっているような環境で育ったという。
暴力はヴァーホーヴェンにとってリアルだった。そして、そのリアルを映画を通して観客にも直視させたのだと思う。
評価・レビュー
92点
祖国オランダでは既に巨匠と言っても良かったヴァーホーヴェンが、ハリウッドでも成功するきっかけになった作品だ。
この映画は今まで述べてきたこと以外にも、大企業批判などのメッセージも織り込まれている。
やはり、そのメッセージ性含めて、『ロボコップ』が名作であるのは間違いない。
作品情報・キャスト・スタッフ
1953年製作/118分/アメリカ
監督
ウィリアム・ワイラー
脚本
ダルトン・トランボ
イアン・マクレラン・ハンター
ジョン・ダイトン
主演
グレゴリー・ペック
オードリー・ヘプバーン
エディ・アルバート