『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』なぜアカデミー賞?つまらなくて退屈なポリコレ映画

※ネタバレアリ

概要

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は2004年に公開されたダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート監督、ミシェル・ヨー主演のSF映画。第95回アカデミー賞において、作品賞、監督賞、主演女優賞など7部門を受賞した。

あらすじ・ストーリー

感想・解説

久しぶりにこれほどつまらない映画を観た。

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(以下『エブエブ』と呼ばせてもらおう)だ。

『エブエブ』がアカデミー賞を取ったのは知っていたし、否定的な意見が多いのも知っていた。

だが、そんな映画こそ他にはない唯一無二の良さを持ち、カルト的な人気となることも少なくない。また超大前提として、観ずに批判するのはよくない。

というわけで覚悟して観た『エブエブ』であったが、久々に観るのに気合を要する映画であった。特にラスト30分はまだ終わらないのか?と何度も早送りボタンに手が伸びかけた。

なんというか、設定の斬新さは認める。だが、それ以前に「賞狙い」のあざとさが透けて見えてしまって仕方ない。

主人公を中国系アメリカ人(というか中国からの移民?)にしているのもそうだし、主人公のエブリンの娘がレズであるという設定もそうだ。

アカデミー賞では、2021年から作品賞のノミネート基準に、以下の4つの項目のうち、2つ以上でマイノリティーの人々を起用することを条件としている(下記の条件はBBCニュースから引用)。

①主演、あるいは主要な助演の俳優に人種・民族的マイノリティーを起用すること

製作陣のリーダー、部門ごとのリーダースタッフの構成

有た給の見習い、インターンシップ、研修生

広報からマーケティング、流通に至る、顧客と関わる部門

こういう話を聞いたことがある。アメリカのドラマや映画で、クラスメイトが白人ばかりになってしまっている場合もあるが、実際にはほぼありえない光景で、有色人種も混ざっているのが普通なのだという。

また、スタッフが白人だけというのも普通に考えたらありえないことだ。

別にキャストを全て白人にしろと言っているわけではないが、『エブエブ』はわざとらしすぎるのが鼻につく。エブリンの娘も少しぽっちゃりしているし、役所の職員を演じているジェイミー・リー・カーティス(最初に見た時に全く彼女とは思えなかった)も年相応の体型の劣化を堂々と見せつけてくれている。『トゥルーライズ』で披露したしなやかな肢体が印象深いので今回の変化には本当に驚いた。ジェイミー・リー・カーティスのことだから特殊メイクかもしれないが。

マルチバースそのものは最近の流行りだろうが、中年のおばさんがいくつものマルチバースを巡るというアイデアは悪くない。

しかし、設定やプロットと実際のストーリーはまた別物だ。

設定の斬新さでいえば、こちらもある意味複数の次元を描いているとも言える『マトリックス』が思い浮かぶ。マルチバースとまではいかないものの、ディストピアな現実世界と20世紀末を模した仮想現実空間(マトリックス)を行き来するという設定はマルチバースにもつながるものがある。

実際『エブエブ』はかなり『マトリックス』の影響を受けている。

司令塔のような所でエブリンの動きを監視する場面は『マトリックス』でいうなら、ネブカドネザル号のコクピットだし、自分の欲しいスキルをインストールする場面は、トリニティがマトリックス内でヘリの操縦をインストールするのと同じだ。また、オフィスボックス内を追ってきた敵から逃げる場面は、仕事場でトーマス・アンダーソンがエージェントから逃げるシーンのオマージュのようなカットがある。

またネオとして目覚めてからも執拗に『トーマス・アンダーソン』と呼びかけるエージェント・スミスに対して『俺の名前はネオだ』と言い、形勢逆転する場面があるのだが、『エブエブ』でも母を「エブリン」と呼ぶ娘に対して「マイ・ネーム・イズ・マザー!」と叫ぶシーンもある。

だが、『マトリックス』は設定の斬新さや、複雑さはあったものの、肝心のストーリー自体はストレートなものだった。

一方の『エブエブ』だが、こちらはストーリーそのものも散らかってしまっている印象だ。『マトリックス』では戦いにおいてはマトリックス内で行われ、マトリックスと、現実世界の2つを行き来する構成なのだが、『エブエブ』ではマルチバースに存在する様々なもう一人の自分から、その各バースの自分がもっているスキルを借りて戦うというものでより複雑になっている。

特にクライマックスの展開だが、少年漫画的な面白さに振り切った『マトリックス』と比較すると『エブエブ』はとにかく説教くさい。各バースのエブリンがとうとうと語り始めるものだから、同じようなことを何回も聞かされている気分に陥る。

で、結局は「今の家族が大事」というありきたりな結論に着地してしまうのだ。

そもそも、娘が本作の大ボスの正体だったということが中盤で既に示されるのだから、その時点でこの結末は多くの人が予想できたはずだ。

予想通りの結末そのものは否定しないが、やはりこのようにヒネりを加えた映画であれば、結末にもひとヒネり欲しかったと思う。

評価・レビュー

3点

どう考えてもアカデミー賞レベルの作品ではない気がする。

脚本もそうで、マルチバースのアイデアそのものはスーパーヒーロー映画を通してやや食傷気味でもあるのではないか。

脚本の独創性という意味では『マルコヴィッチの穴』に遠く及ばない。

『エブエブ』は見た目がすごく美味しそうだが、食べたら不味いケーキのようだ。

今作と同じダニエルズが撮った『スイス・アーミー・マン』は気に入った作品なのだが、作家性の強さは傑作と駄作の常に紙一重にあるのだと実感した。

作品情報・キャスト・スタッフ

監督
ダニエル・クワン
ダニエル・シャイナート

脚本
ダニエル・クワン
ダニエル・シャイナート

出演者
ミシェル・ヨー
キー・ホイ・クァン
ステファニー・スー
ジェニー・スレイト
ハリー・シャム・ジュニア
ジェームズ・ホン
ジェイミー・リー・カーティス

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CINEMA OVERDRIVE

ロックミュージックに欠かせないエフェクター、OVERDRIVE。
それはクリーンな音に歪みを与え、それまでの音楽に新しい可能性をもたらした。
CINEMA OVERDRIVEもまた「個人的な評価」という歪みによって、映画の捉え方・楽しみ方を広げていきたい。