『ファイト・クラブ』本当の自分とは何か

概要

『ファイト・クラブ』は1999年に公開されたアメリカ映画。
95年の『セヴン』に引き続きデヴィッド・フィンチャーとブラッド・ピットが2度目のタッグを組んだ作品となった。

あらすじ・ストーリー

「僕」は社会的には成功を収めながらも、日々をどこか空虚な気持ちで過ごしていた。心の中に問題を抱え、不眠症に悩む「僕」は自分より不幸な者たち、末期ガン患者や結核患者などの自助グループに患者のふりをして通うようになり不眠症は一時的に改善するが、どのグループにも自分と同じようにニセ患者として通う女(マーラ・シンガー)のせいでまた不眠症は悪化してしまう。

そんな時に「僕」はタイラー・ダーデンと名乗る謎の男と知り合う。彼は「僕」とは正反対の性格の男だった。

ふとしたことから「力いっぱい俺を殴ってくれ」と頼まれた「僕」とタイラーが駐車場で殴り合いを始めると、そこには多くの見物人が集まってくる。タイラーは場所を地下室に移し彼らとともにファイト・クラブという集まりを結成。

「ファイト・クラブ  ルールその1、ファイト・クラブのことを決して口外するな」

ファイト・クラブには多くの男たちが集まるようになるが、やがてそのクラブは「僕」の知らない間にいつしか恐るべきテロ計画へと暴走していく……。

感想・解説

「性欲の代わりに暴力を刺激するポルノだ」
はファイトクラブをこう評した。
実際に今作の公開後、世界の至るところでファイトクラブが作られたらしい。

公開時は興業収入として目覚ましい成績を収めたわけではないが、ソフト化とともに長い人気を持ち続ける映画となっている。

ではなぜ『ファイト・クラブ』は男たちを突き動かすのか?

それは『ファイト・クラブ』がマッチョイズム原理主義とも言うべき姿勢を貫いているからだろう。マッチョイズムとも言えば強権的、男尊女卑みたいなイメージを抱くかもしれないが、むしろ今作におけるそれは社会の中で「男性らしさ」が意味と価値を持たなくなっていることへの強烈なカウンターだ。

高級ブランドの家具も、地位も要らない。男の価値は本来はそこではなかっただろう?『ファイト・クラブ』のメッセージの1つはそれだ。

『ファイト・クラブ』は暴力というフィルターを通して、私たちの中に巣喰う虚栄心や世俗的な欲望を殴り飛ばしていく。

ブラッド・ピット演じるタイラー・ダーデンはその象徴だ。

「いつか必ず死ぬって事を恐れず心にたたき込め!すべてを失って真の自由を得る」

「職場と言えばガソリン・スタンドかレストラン、しがないサラリーマン
宣伝文句に煽られて要りもしない車や服を買わされてる
歴史のはざまで生きる目標が何もない
世界大戦もなく、大恐慌もない
俺たちの戦争は魂の戦い
毎日の生活が大恐慌だ
テレビはいう”君も明日は億万長者かスーパースター”
大嘘だ
その現実を知って俺たちはムカついてる」

「殺人、犯罪、貧困、誰も気にしない。
それよりアイドル雑誌にマルチ・チャンネルTV、デザイナー下着、毛生え薬、インポ薬、ダイエット食品・・・・
何がガーデニングだ!タイタニックと海に沈めばいいんだ!」

『ファイトクラブ』ではこのような台詞で私たちの中に眠るマッチョイズムを刺激していく。

もっともデヴィッド・フィンチャーは本作が男尊女卑的であると批判をうけたそうだが。
(余談ではあるが、フィンチャーは『ゴーン・ガール』でこの批判への返答としたのではないだろうか。)

『ファイト・クラブ』が突きつけるテーマは本当の自分とはなにかということだ。それを暴力に象徴させて描いている。

社会の中で生きていく上で被らざるを得ない「仮面」を剥ぎ取り、その下にある衝動を刺激していく。

劇中でエドワード・ノートンが演じる「僕」の名前は遂に明かされない。

僕の名前は私かもしれないし、あなたかもしれない。

『ファイト・クラブ』が突きつけるものはどこまでも鋭い。

評価・レビュー

85点

物質的に飽和状態となり、大量消費時代となった現代社会を痛烈に皮肉った作品だ。公開当時はミニマリストなんて言葉もなかった頃だ。今よりもその傾向が強かったかもしれない。

しかし、この作品のエネルギーは時代を越えてしまうほどの引力を放っている。

作品情報・キャスト・スタッフ

1999年製作/139分/アメリカ

監督
デヴィッド・フィンチャー

脚本
ジム・ウールス

主演
エドワード・ノートン
ブラッド・ピット

>CINEMA OVERDRIVE

CINEMA OVERDRIVE

ロックミュージックに欠かせないエフェクター、OVERDRIVE。
それはクリーンな音に歪みを与え、それまでの音楽に新しい可能性をもたらした。
CINEMA OVERDRIVEもまた「個人的な評価」という歪みによって、映画の捉え方・楽しみ方を広げていきたい。