『ゴジラvsデストロイア』

概要

『ゴジラvsデストロイア』は1995年に公開された大河原孝夫監督、石井琢朗主演の特撮映画。平成ゴジラシリーズとしては本作がラストの作品となる。

本作のキャッチコピー『ゴジラ死す』は当時強烈なインパクトを与え、ゴジラの死は大きな話題にもなった

あらすじ・ストーリー

香港に現れたゴジラは、

感想・解説

幼稚園の頃はウルトラマンやゴジラに夢中だった。ウルトラマンは当時テレビ番組や映画でもやっていなかったと思うので、恐らくレンタルビデオで観ていたのだろう。

比べて『ゴジラ』は映画もやっていたので1991年に公開された『ゴジラvsキングギドラ』からはリアルタイムで映画館で観ていた。もちろんクリスマスのおもちゃもゴジラが多かった。

そんな中に衝撃のニュースが飛び込んできた。

「ゴジラ死す」

まだゴジラが作り物かどうかさえよくわかっていない7歳児にこの知らせは脳天を割られるかのような衝撃だった。

あの怪獣王がなぜ?どうやって?

逸る気持ちを抑えきれず、映画館に観に行った。その時は両親ではなく、なぜか小学校の先生が連れて行ってくれたのをよく覚えている。学校に関係のないことで先生と児童が遊びに行くなんて今の時代なら絶対にアウトなことだろうが、私の育った田舎はやはり田舎特有の緩さがあった。各家庭の教師に対する信頼や子供と教師の絆もまた濃密なものがあったのだろう。

話を戻そう。『ゴジラvsデストロイア』は1954年に公開された一番最初の『ゴジラ』以来、ゴジラの死を明確に描いた作品だ。

ゴジラが日本ではなく香港に姿を表す。しかし、その体は所々が溶岩のように赤みを帯びており、体からはが吹き出す異様な姿だった。

いわゆるバーニングゴジラと言われるゴジラだ(ちなみにこのバーニングゴジラが私は大好きで、この間もフィギュアを購入してしまった。もうすぐ40歳になるというのに)。

今回の敵怪獣はデストロイアと呼ばれる怪獣だが、その誕生の経緯はなんと『ゴジラ』で芹沢大助博士が使用したオキシジェン・デストロイヤーの作用により、異常進化した古代微生物が成長し、怪獣化したものだ。

成長の過程で数メートル大の幼体が群衆化し一つの巨大な成体に合体する設定もまたこれまでのゴジラ怪獣にはない設定で斬新だった(『ゴジラ対ヘドラ』のヘドラも似たような特徴であった気もするが)。

『ゴジラvsデストロイア』は第一作目の『ゴジラ』との結びつきが非常に強い作品だ。個人的には『ゴジラ』の直接の続編が『ゴジラvsデストロイア』でも良かったのではないかと思うほどだ。

『ゴジラ』のラストで芹沢博士はそれまで頑なに拒んでいたオキシジェン・デストロイヤーをゴジラに対して使うことを決める。オキシジェン・デストロイヤーは酸素破壊剤であり、それが実用化された暁には広島や長崎に投下された原爆を超える兵器になってしまう。

悩んだ芹沢 オキシジェン・デストロイヤーは一度きりの使用にするとし、その代償として自らの命を犠牲にしてしまう(オキシジェン・デストロイヤーを使えば、その存在が知れ渡り、戦争に利用する人々も出てくるだろう、そうなったら芹沢自身もまたオキシジェン・デストロイヤーを作らざるを得なくなる可能性が出てくるため、その可能性を完全に無くすために芹沢は死を選択する)。

だが、デストロイアの誕生はそれだけの犠牲を払っても大量破壊兵器を使った贖いにはまだ足りないということだろうか。

ゴジラの身もまた刻々とメルトダウンの時が近づいている。言わば動く原発事故のようなものだ。

第一作目の『ゴジラ』から歳を重ねるごとに『ゴジラ』に込められた反戦・反核のメッセージは弱まり、子供向けの娯楽映画に堕してしまったゴジラ映画だが、本作は違う。

ゴジラの死を通して、もう一度核のリスクを訴えているようにも見える。それは『ゴジラ』に通じる、ゴジラ映画の根本のメッセージだ。

だからこそ私は『ゴジラvsデストロイア』こそ、ゴジラ映画の本当の最終作ではないかと思うのだ。

評価・レビュー

86点

「最後のゴジラ」に相応しい作品。今作に限らず、昨今のCGの本物と見紛うばかりのリアルさに慣れてしまえば、本作の特撮は嘘くさく見えてしまうが、今作に込められた気迫の凄さは昨今のゴジラ映画さえ凌駕してしまうだろう。

個人的には『ゴジラvsデストロイア』は初代から続くゴジラシリーズに一区切り打った作品だと思う。その後『ゴジラ2000 ミレニアム』というタイトルでゴジラ映画は復活するのだが、どうも同じ『ゴジラ』シリーズだとは思えないのだ。

作品情報・キャスト・スタッフ

1995年製作/103分/日本

監督
大河原孝夫(本編)
川北紘一(特撮)

脚本
大森一樹

主演
辰巳琢郎
石野陽子
林泰文
大沢さやか
小高恵美
髙嶋政宏
河内桃子
中尾彬
神山繁
篠田三郎

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