概要
『ゴジラ対ヘドラ』は1971年に公開された坂野義光監督、山内明主演の怪獣映画。1954年に公開された『ゴジラ』以来の社会的なメッセージを全面に押し出した原点回帰的な作品だ。
しかし一方では当時のヒッピーブームを反映したサイケデリックな作風と子供をターゲットにしたとは思えない残酷描写でゴジラ映画の枠を超えて、邦画の一大カルト映画としても人気を誇る作品でもある。
ちなみに本作にはゴジラが放射火炎を利用して空を飛ぶ場面があり、プロデューサーの田中友幸を激怒させたという逸話もある。
あらすじ・ストーリー
感想・解説
初めてゴジラ映画を観に行ったのは、おそらく4歳のとき。『ゴジラvsキングギドラ』だった。それから『ゴジラvsデストロイア』まで、いわゆる平成ゴジラシリーズはリアルタイムで映画館で観てきた。
子供の頃は単純に怪獣同士の戦いにワクワクしていた。だが、それだけではやはり飽き足りなくなってしまう。映画館でゴジラを観たのは、悪名高いローランド・エメリッヒ監督の『GODZILLA』を最後に、大人になるまで長らくゴジラからは遠ざかっていた。
やはり、日本のゴジラ映画はほとんど子供向けの作品だったと思う。そんな中でハリウッドが作ったゴジラ映画は(エメリッヒ版のような迷作もありつつも)大人が観ても十分に満足できる、全年齢向けの作品だった。それからの日本のゴジラ映画である、『シン・ゴジラ』、『ゴジラ−1.0』もその流れの中にあるゴジラ映画と言っていい。
大人向けのゴジラ映画の定義を訊かれると迷ってしまうが、やはり単なる怪獣映画の枠を超えた、社会的な意義があるかどうかだ。1954年の『ゴジラ』はその年の初めに起きた第五福竜丸の被爆事故に影響を受けている。
1954年3月、第五福竜丸はアメリカの核実験の放射能を受け、船員22名全員が被爆し、船長が亡くなった。
それは戦争が終わった日本を再び襲った核の恐怖だった。
『ゴジラ』もそうで、初代ゴジラは度重なる水爆実験によって住処を追われ、巨大化した太古の生物という設定だ。ゴジラは放射能を撒き散らしながら東京を襲う。
2016年に公開された『シン・ゴジラ』は東日本大震災の影響を強く受けた作品だった。ゴジラが日本に上陸した後の惨禍は3.11の地震で壊滅した街並みを思い出させる。また、こちらのゴジラも放射能を撒き散らすが、それは核兵器のメタファーではなく、原子力発電所のメタファーだ。
さて、ずいぶん前置きが長くなったが、社会的なゴジラ映画と言えば『ゴジラ対ヘドラ』は外せない。
今作が背負ったものは公害問題だった。
高度経済成長の影の部分として、日本ではその時代数多くの公害問題が起きた。水俣病や四日市ぜんそくをはじめとした公害病や光化学スモッグ。
監督の坂野義光は『ゴジラ対ヘドラ』制作当時「現代の核に代わる恐怖」として公害をテーマにすることを決めたという。その象徴であるヘドラだが、ゴジラ映画史上最強の敵とも呼ばれるほどに強いのだ。
人類を硫酸ミストで白骨化させ、体に穴を開けられても死なず、完全に倒すには熱で完全に乾燥させなければならない。そうでなければバラバラにしてもすぐに復活してしまう。
言い換えれば、当時の公害がいかに恐ろしく大変なものであったかということだ。
公害問題については社会科の教科書で習うかもしれないが、ゴジラ映画というエンターテインメントの中でもその恐ろしさを別の視点から知ることができる。
ちなみにこの『ゴジラ対ヘドラ』は邦画の斜陽期と重なったことも災いして、ゴジラの長い歴史の中でも最低に近い予算で作られているのだが、それでもアイデアと気持ち次第で人々の心に残る作品は作れるということを、今作は証明していると思う。
評価・レビュー
75点
よくも悪くも強烈な作品で、今作は一度観たら忘れられないインパクトに満ちている。魚人間やオープニングのアジテートソングである『かえせ!太陽を』など子どもたちのトラウマになりかねない映画なのだが、その強烈さこそカルト映画としての素質なのだろう。
作品情報・キャスト・スタッフ
1971年製作/85分/日本
監督
坂野義光
脚本
馬淵薫
坂野義光
主演
山内明
柴本俊夫
川瀬裕之
麻里圭子
木村俊恵