『GODZILLA』はつまらない?エメリッヒ版は本当に駄作なのか考察

概要

『GODZILLA』は1998年に公開されたローランド・エメリッヒ監督、マシュー・ブロデリック主演の怪獣映画。

日本のゴジラ映画をハリウッドで制作した初めての作品だ。

あらすじ・ストーリー

大西洋で漁船が巨大生物に襲われる事故が発生する。フランスの保険会社のフィリップは生き残った船員を尋問する。

唯一生き残った老人はフィリップの「何を見たのか」という問いかけに震える声で「ゴジラ」とだけ返すのであった。

一方、チェルノブイリで放射能が生物に与える影響について調べていた通称「ミミズ博士」のタトプロスは国務省の人間に半ば強引にパナマへ連れて行かれる。

そこでタトプロスは自分がいる場所がある巨大な生物の足跡の中だということに気づく。チェルノブイリのミミズをはるかに超える巨大化から、この生物も放射能の影響を強く受けて巨大化したのではないかとタトプロスは仮説を立てる。

そして、ニューヨークに突如として巨大生物が上陸する。

人々がパニックになる中、その生物は生き残った乗組員の言葉から「ゴジラ」と呼ばれるようになる。

感想・解説

日本のゴジラとは似ても似つかない、恐竜のようなスタイル。公開されるやいなや、「あれはゴジラではない!」との酷評も相次ぐ賛否両論の作品となった。

今作も映画館まで観に行った作品だ。1998年に公開された映画なので、当時は11歳。もちろん当時からゴジラは好きだったものの、「怪獣映画」として好きだったのだと今は思う。

つまり、『ジュラシック・パーク』もゴジラ映画も恐竜と怪獣という違いはあれど、ほぼ同じ系統の映画として観ていた。「何がゴジラをゴジラたらしめているのか」などということはあまり考えていなかったのだ。

確かにあの恐竜然としたエメリッヒ版ゴジラの造形はいわゆる「ゴジラ」ではなく、揶揄されたような「トカゲ」と言われても仕方ないものであった。

余談ではあるが、『GODZILLA』のゴジラはイグアナが核実験によって異常進化した生物とされているが、イグアナが二足歩行になるのか?という疑問はある。

また、ゴジラがミサイルによって倒されてしまったり、エメリッヒ自身がゴジラという題材に興味がなかったというインタビューも見たことがある。

そういった意味では確かにゴジラ映画ではないのかもしれない。

だが、CG技術や予算の問題、ゴジラらしさは横に置いておいて、それでも『GODZILLA』には怪獣の巨大さ、恐怖をどう演出するかに工夫をこらしているのがよく分かる(ちなみに『GODZILLA』の海外でのキャッチコピーは、。日本語に直すと「大きさがものを言う」という意味になる)。

ここにおいてはむしろそれまでの日本のゴジラ映画を私は批判したい。

様々な費用や技術の差はあっても、「見せ方」は工夫次第で変えられるものではないか?なぜ『GODZILLA』のような工夫ができなかったのだろうか。

そう思うと『GODZILLA』はもっと評価されるべき映画なのかもしれない。

評価・レビュー

55点

核兵器がゴジラを生んだことを明確に描いているのは、初代ゴジラと今作くらいかもしれない(それでもやはりアメリカには「反核」のメッセージはそぐわないのか、フランスの核実験により生まれた生物とされていたが)。

ゴジラがGODZILLAとなり、世界的なキャラクターになったのは、口から火を吐く怪獣だったからではない。

人類の罪を背負った存在だからだ。確かにエメリッヒも『GODZILLA』には愛着を抱いていないし、国内外のファンから「あれはゴジラではない」と言われてしまうのもわかるのだが、どうしても全否定はできない。個人的にはそんな作品だ。

作品情報・キャスト・スタッフ

1998年製作/139分/アメリカ

監督
ローランド・エメリッヒ

脚本
ディーン・デヴリン
ローランド・エメリッヒ

主演
マシュー・ブロデリック
ジャン・レノ
マリア・ピティロ
ハンク・アザリア

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CINEMA OVERDRIVE

ロックミュージックに欠かせないエフェクター、OVERDRIVE。
それはクリーンな音に歪みを与え、それまでの音楽に新しい可能性をもたらした。
CINEMA OVERDRIVEもまた「個人的な評価」という歪みによって、映画の捉え方・楽しみ方を広げていきたい。