『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』賛否両論の問題作!なぜアーサーはジョーカーを否定したのか?

概要

『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』は2024年に公開されたトッド・フィリップス監督、ホアキン・フェニックス、レディー・ガガ主演のスリラー映画。前作とはうって変わってミュージカル風の作品になった。

あらすじ・ストーリー

前作『ジョーカー』の出来事から2年後。

アーサー・フレックはアーカム州立病院に収容され、模範囚として過ごしながら裁判に向けて準備していた。いまだにジョーカーに対する人々の関心は高く、外では信奉者たちがジョーカーの解放を望んでいた。

そんな中、アーサーはリーという女性と出会う。

リーはアーサーに「ジョーカーの再現ドラマを20回は観た」という。リーはアーサーへジョーカーへの憧れを伝え、アーサーもリーの境遇にシンパシーを感じていた。

距離を縮めていくアーサーとリー。

アーサーは「自分はもうひとりじゃない」と喜びに目覚める。しかし、リーと親密になればなるほど、アーサーはジョーカーへと近づいていく。

感想・解説

『ジョーカー』の世界的な大ヒットは監督のトッド・フィリップスも予想できなかったと語っている。

なぜ『ジョーカー』はあれ程の熱狂を持って受け入れられたのか。

『ジョーカー』で描かれたことは今の時代に通じることだったからだ。超格差社会とも呼ばれる貧富の差、大企業の一極支配など、今も苦しんでいる人は大勢いる。

トッド・フィリップスはそんな彼らにこそ、愛が必要で、逆説的に「徹底的に愛が与えられなかったらどうなるか」を『ジョーカー』で描いた。

アーサーのような心優しい男でもジョーカーに変貌する危険性がある。

だが観客は自分こそジョーカーだと思ってしまった。その結果、本作に影響されたと思われる事件も発生してしまった。

そういう意味では『ジョーカーフォリ・ア・ドゥ』はトッド・フィリップス自身による修正作とも呼んでいいだろう。

その分でフォリ・ア・ドゥはアーサーの内面が掘り下げられていく。

そこでキーとなるのが音楽だ。前作『ジョーカー』でも音楽はアーサーの内面を表し、音楽に合わせてステップを踏む度にアーサーはジョーカーに近づいていく。

『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』もそうだ。

このフォリ・ア・ドゥという言葉はある一人の妄想が他者にも伝染していく精神障害を指しているが、アーサーとリーは互いに共鳴しあい、アーサーは再びジョーカーとして覚醒してゆく。

しかし、その先は?

「悪のカリスマ」ジョーカーを期待していた人には確かに不満足な出来だったかもしれないが、個人的には満足できた作品だ。

それは今作でトッド・フィリップスは前作に対するけじめをつけたようにも思えるからだ。

もちろん評価を気にしていないわけではないだろうが、過度に観客に寄り添うのではなく、自らが本当に良いと思うものをそのまま提示する勇気とクリエイターとしての矜持に拍手を送りたい。

評価・レビュー

86点

逆にそこまで低評価を付ける理由が分からないのだが。

観客の期待とのズレを改めて言葉にするならば、観客はジョーカーの物語を期待していたのだろうが、監督が描いたのはアーサー・フレックの物語だった、その違いだろう。

前作ではアーサーはサナギから羽化して蝶になるように、ジョーカーへ変貌したように描かれる。だが、それがアーサーの真実なのだろうか?

アーサーがようやく見つけた本当の自分自身とは何なのか。是非自分の目で確かめてほしい。それは『ジョーカー』が公開されてから今に至るまでの社会に対する真摯なメッセージとなっている。

作品情報・キャスト・スタッフ

2024年製作/138分/アメリカ

監督
トッド・フィリップス

脚本
スコット・シルヴァー
トッド・フィリップス

出演者
ホアキン・フェニックス
レディー・ガガ
ブレンダン・グリーソン
キャサリン・キーナー
ザジー・ビーツ

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CINEMA OVERDRIVE

ロックミュージックに欠かせないエフェクター、OVERDRIVE。
それはクリーンな音に歪みを与え、それまでの音楽に新しい可能性をもたらした。
CINEMA OVERDRIVEもまた「個人的な評価」という歪みによって、映画の捉え方・楽しみ方を広げていきたい。