『ジョーカー』社会に潜む狂気

概要

『ジョーカー』は2019年に公開されたアメコミ映画。バットマンの悪役であるジョーカーが誕生するまでを描く。主演はホアキン・フェニックス。
第76回ヴェネツィア国際映画祭でスーパーヒーロー映画として初めて金獅子賞を受賞した。

あらすじ・ストーリー

アーサー・フレックはコメディアンを目指す中年男性。
病気の母を抱え、孤独で貧しい日々を送っている。

彼は脳の損傷により、発作的に笑い出すという病気を抱えながらピエロの扮装をしてあらゆる場所に派遣される仕事をしていた。
しかし、ある時とある店のセールの看板を持って仕事をしていたときに街の不良達に襲われ、看板は壊され、自身も酷い暴行を受ける。

アーサーは同僚から護身の一つとして銃を渡されるが、小児病棟で 子供達の慰問の仕事をしていたときに携帯していた拳銃を落としてしまい、雇用主から「なぜ小児病棟に拳銃を持ち込んだのか」と詰問され、雇用先をクビになってしまう。

失意のあまりピエロメイクのままで電車に乗るアーサー。すると向かいの若い三人組の男が女性に絡んでいるのが目に入る。

苛立ちながらも傍観を決め込むアーサーだったが、そんなときに笑いの発作が出てしまう。
それをきっかけに男達のからかいの対象はアーサーに切り替わる。
やがてからかいは暴行へと変わり、耐えきれなくなったアーサーは一人を射殺。そして続けて残りの二人も射殺する。

この事件を機に、アーサーの中の狂気が徐々に芽生えてゆく。

感想・解説

アメリカン・コミックの映画化は最近の手っ取り早い金稼ぎの定型かもしれない。MARVEL作品の隆盛はそれを顕著に示している。その一方でそうした映画が映画から芸術という一面をはぎ取っているという批判もある。

しかし今作『ジョーカー』は熱狂をもって迎えられた映画となった。

社会が狂人を生み出すという枠組みは今作にも出演したロバート・デ・ニーロの主演作『タクシードライバー』にも通じる。
『JOKER』が描くのは資本主義が拡大しきったアメリカの姿だ。そこではごくわずかな資本家と貧しい大衆に貧富は二極化されている。
現実には低所得者向けのセーフティ・ネットはアメリカでもある程度整備されているが、一方で皆保険制度がなかなか導入されない現状がある。その根底にあるのは自己責任の考え方だ。

『ジョンQ』でもこの保険制度の問題は描かれていたが、金の有る無しがそのまま命の選別につながっていくのだ。

貧しいのは成功できなかった自分のせいだろうか?本当にそうか?
社会への憎しみがガスのように充満した世界では、少しの火花でもそれは一気に燃え広がっていく。
そうやって弱者のヒーローとして祭り上げられたのが今作のジョーカーだ。

『ダークナイト』でヒース・レジャーの演じたジョーカーは混乱と無秩序の象徴であり、人間味を感じさせない、怪物のようなキャラクターであったが、今作のジョーカーはそれとは正反対のどこにでもいるような人間だ。

『ジョーカー』の恐ろしさはジョーカーにあるのではなく、ジョーカーを容易く生み出せる社会の在り方にあるのだと思う。
「生きづらさ」というキーワードは10年ほど前から世の中を表す文章の中でに目にするようになった。アーサー・フレックのような社会的弱者と呼ぶべき立場に置かれた人は珍しくない。
普通の人がジョーカーへと変貌していく過程で私たちの価値観も大きく揺さぶられることになる。

『ジョーカー』への熱狂。その根底には果たして何があるのだろうか。

評価・レビュー

90点

ストーリーとしては観ていて辛くなるシーンの連続ではあるが、最後にはそれを逆転させるようなカタルシスが待っている。その爽快さは果たしてジョーカーへの共感なのだろうか?そんな自分への問いかけに気づくだろう。

近年の映画の中ではダントツに迫力のある映画だ。それまではホアキン・フェニックスに狂気は感じなかったが、今作では体重を大幅に減らす役作りを行い、ヒース・レジャーとは全く狂気を生み出すことに成功している。

作品情報・キャスト・スタッフ

2019年製作/ 122分/アメリカ

監督
トッド・フィリップス

脚本
トッド・フィリップス
スコット・シルヴァー

主演
ホアキン・フェニックス
ロバート・デ・ニーロ
ザジー・ビーツ
フランセス・コンロイ

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CINEMA OVERDRIVE

ロックミュージックに欠かせないエフェクター、OVERDRIVE。
それはクリーンな音に歪みを与え、それまでの音楽に新しい可能性をもたらした。
CINEMA OVERDRIVEもまた「個人的な評価」という歪みによって、映画の捉え方・楽しみ方を広げていきたい。