『武士の一分』木村拓哉は本当に何を演じてもキムタクなのか?

概要

『武士の一分』は2006年に公開された 山田洋次監督、木村拓哉主演の時代劇。

あらすじ・ストーリー

三村新之丞は優れた剣腕を持ちながらも、その仕事はの毒味役だった。

あるとき、新之丞はツブ貝の毒に当たって失明してしまいます。

目が見えなくなり、仕事もできなくなった新之丞は家禄を取り上げられるの危機に陥りますが、上士の島田が新之丞の妻、加代の体と引き換えに家禄を維持する事ができるようになります。

しかし、その事実を知った新之丞は激怒、加代を離縁します。

しかし、その後、島田が三村家の家禄の維持に全く関わっていないことが明らかになると、新之丞は加代を離縁したことを悔い、そして島田へ決闘を申し込みます。

感想・解説

木村拓哉の演技評として「どんな役を演じさせても木村拓哉になってしまう」という声をよく目にする。

個人的にはこれには正面から異を唱えたい。

ドラマを中心に出演作には大ヒットした作品や社会現象を巻き起こしたまであるタレントだ。

個人的に観ていたドラマでは『ビューティフルライフ』、『HERO』、『空から降る一億の星』、『GOOD LUCK!!』あたりだろうか。

多少の差異はあれども、勝ち気で少し生意気で、だけれども芯は真っ直ぐ、というのが役としては共通しているように思う。そして裏返せばそれが「何を演じてもキムタク」と言われてしまう理由にもなっているのだろう。

だが、それはコンテンツの製作者がそういう「キムタク像」を求めているからではないだろうか。

『武士の一分』で木村拓哉が演じるという男はそうした部分がありつつも、繊細で影のある部分も持ち合わせた男だ。

今作を観ると、木村拓哉の演技の巧さに改めて驚かされる。

盲目というわかりやすいハンディキャップを背負った役柄なのもまたいい意味で「キムタクらしさ」を打ち消すことに成功している。

個人的には木村拓哉という役者の本領が本当に発揮されるのは本作や『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』で演じたのような影のある繊細な役だと思う。

評価・レビュー

82点

今作は一人の男の一途な復讐劇だ。しかし、その物語と同じくらい丁寧に描かれる下級武士の生活の風景が素晴らしい。

特に沢庵は現在お店で売っているような真っ黄色なものではなく、本当に自分で漬けたのがわかる、大根の素材そのものの白い沢庵だ。

キャラクター同様、丁寧に細やかに江戸の庶民の風景を描いたところも個人的には好きな所だ。

こういう映画を観ると、邦画もまだ捨てたもんじゃないと思えてくるのだ。

作品情報・キャスト・スタッフ

2006年製作/121分/日本

監督
山田洋次

脚本
山田洋次
平松恵美子
山本一郎

主演
木村拓哉
檀れい
笹野高史
小林稔侍
緒形拳
桃井かおり
坂東三津五郎

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CINEMA OVERDRIVE

ロックミュージックに欠かせないエフェクター、OVERDRIVE。
それはクリーンな音に歪みを与え、それまでの音楽に新しい可能性をもたらした。
CINEMA OVERDRIVEもまた「個人的な評価」という歪みによって、映画の捉え方・楽しみ方を広げていきたい。