『ミッドナイト・イン・パリ』ノスタルジーと現実

概要

『ミッドナイト・イン・パリ』は2006年に公開されたウディ・アレン作品。ニューヨークを舞台にした作品の多いウディ・アレンには珍しくパリが舞台となっている。第84回アカデミー賞で脚本賞を受賞している。

あらすじ・ストーリー

小説家志望の脚本家、ギル・ペンダーは婚約者のイネスとともにパリを訪れていた。

しかし、旅行にはイネスの両親も同行しており、ギルは彼らとどうしても反りが合わない。

パリでイネスは友人のポールと会う。ともにパリを観光することになったギル達とポールだが、ポールのインテリぶった態度がギルはどうしても気になってしまう。

イネスとポールが意気投合していく一方で、ギルは一人で夜のパリにいた。そんな彼の前に1台の馬車が停まる。

「パーティに遅れるぞ!」乗っていた人々はギルの全く知らない人たちばかりだったが、興味本位でその場所に乗ると、たどり着いた先は、ギルが憧れていた、1920年代、ベル・エポック時代のパリだった。

憧れの作家、アーネスト・ヘミングウェイや、F・スコット・フィッツジェラルド、ガートルード・スタインらと邂逅する。そしてバブロ・ピカソの愛人であるアドリアナにギルは強く惹かれていく。

感想・解説

個人的には近年のウディ・アレン作品の中でも今作はベストの一本だ。
現代から1920年代のパリへと誘う不思議なバスに乗ってタイムスリップというファンタジーの映画でもあるが、現代におけるギルの苦悩とうまくバランスをとっており、決してファンタシーでありながらも夢物語ではない現実味もこの作品は感じさせてくれる。

ウディ・アレン映画らしくクライマックスで予想外の展開に陥るところ、そしてエンディングでは細やかな幸せが主人公に訪れること。
基本的なウディ・アレン映画と呼べる展開だが、今作では程よく皮肉が効いている。

ギルは憧れだった1920年代のパリにタイムスリップし、アドリアナとともにずっとその時代で暮らしていこうとするが、アドリアナはそれ以前のベル・エポック時代に憧れていたのだった。
その展開は憧れと実態という観点からも興味深い。

ギルの憧れた1920年代のパリはたしかに様々な芸術家がパリで交わった時代だった。
劇中にもヘミングウェイ、ピカソ、ダリなど多方面の芸術家が登場する。
だが一方では絶えず戦争と隣り合わせの時代でもあった。アドリアナがベル・エポック時代に憧れるのも無理はない。そもそもベル・エポックとはフランス語で「良き時代」を意味する。

日本でも戦後すぐの時代のノスタルジーを感じさせる作品のブームがあったが、それはその時代の良いところだけを都合よく解釈した上でのノスタルジーだろう。

その時代の困難はその時代を生きた人でないとわからない。困難に打ち克とうとして、時代は絶えず流れていったはずなのだ。

ウディ・アレンは今作の製作当時、80代近く。過去を振り返って「昔はよかった」というメッセージだけでもまったくおかしくない年齢だ。

たしかにどんな過去でも時が経てば愛おしくなる。辛いことでも嬉しかったことでも、思い出として懐かしむことができる。

「過去はいつだって焦がれるものだ」

ウディ・アレンはギルにそう語らせる。しかし、そこにとどまるのがウディ・アレンではない。

エンディングに細やかな幸せを持ってくるのがウディ・アレン作品の不文律だ。今作でもそれは踏襲されている。

どれだけ過去に焦がれようと、結局人は今を生きるしかない。そして、どんな「今」にも必ず幸せはあるものだ。

評価・レビュー

96点

ウディ・アレンの監督作品の中では一般的な評価も高く、鑑賞後の満足度も高い。

80代にも近づきつつある当時のウディ・アレンにとって、ノスタルジーとは過去とはどういう意味を持つのか。それを今作を通じて垣間見れるのも興味深い。

それにしても、なぜこれほどまでに瑞々しい作品を作り上げることができるのか。やはりウディ・アレンは映画の神様に愛された男だと思う。

ウディ・アレン作品をを観たことのない人にももちろんおすすめできる一本だ。

作品情報・キャスト・スタッフ

2011年製作/94分/ アメリカ

監督
ウディ・アレン

脚本
ウディ・アレン

主演
オーウェン・ウィルソン
レイチェル・マクアダムス
マリオン・コティヤール

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CINEMA OVERDRIVE

ロックミュージックに欠かせないエフェクター、OVERDRIVE。
それはクリーンな音に歪みを与え、それまでの音楽に新しい可能性をもたらした。
CINEMA OVERDRIVEもまた「個人的な評価」という歪みによって、映画の捉え方・楽しみ方を広げていきたい。