『アウトレイジ 最終章』

概要

『アウトレイジ 最終章』は2017年の日本映画。『アウトレイジ』『アウトレイジ ビヨンド』につぐ『アウトレイジ』シリーズの3作目の作品にして完結編。
前作の後、韓国に渡った大友だったが、花菱会幹部とのトラブルが発生。復讐のために仲間とともに再び日本を訪れる。

あらすじ・ストーリー

前作『アウトレイジ ビヨンド』で刑事の片岡を射殺した大友は日本を離れ韓国の済州島で日韓フィクサーの張会長の元に身を寄せていた。

ある時、花菱会傘下の暴力団員の花田が風俗で問題を起こす。そこに現れたのは用心棒となっていた大友とその仲間の市川らだった。

花田は慰謝料として200万払うと約束したが、実際に払う気はさらさらなく、それどころか張グループの運転手を殺害してしまう。こうして、花菱会と張グループとの対立は深まっていく。

そして花菱会の蛮行に業を煮やしてついに大友と市川が済州島から日本へやってくる。

感想・解説

北野武監督の『アウトレイジ』シリーズはそれまでのキタノ作品とは随分と趣の異なった作品となった。
その最たるものが膨大な台詞の量だ。

これまでとは異質なキタノ映画

キタノ映画でバイオレンスを全面に押し出したのは2000年の映画『BROTHER』以来10年ぶりだが、のエンターテイメント性をさらに強くしたようにも感じた。もちろん、その間に製作された『座頭市』でエンターテイメントへの大きな手応えもあったのだろう。それは『アウトレイジ』に引き継がれ、『アウトレイジ ビヨンド』『アウトレイジ 最終章』と続編の度に大きくなっていった。
そもそもキタノ映画にシリーズ物ができることすら前代未聞だ。『アウトレイジ ビヨンド』の記者会見でも北野武自身が「日本のやくざ映画において高倉健、深作欣二の次に『アウトレイジ』が次の暴力映画のスタンダードになる」と発言している。

『アウトレイジ 最終章』の能動性

『アウトレイジ』シリーズで描かれるのはそれまでの義理人情のヤクザ映画の世界ではない。裏切りと暴力によって権力闘争に明け暮れる男達の話だ。
『アウトレイジ』では主人公の大友組組長、大友がそんな男達に振り回され、潰されていく様子を描いている。
続編の『アウトレイジ ビヨンド』も基本的にはこの形だ。かつて反目しあった敵対組織の木村と和解。木村に請われる形で山王会との抗争を繰り広げるようになる。
ところが『アウトレイジ 最終章』ではそれとは全く違う。能動的な作品なのだ。

『ソナチネ』にしろ、『BROTHER』にしろ、北野映画のヤクザは負け戦の渦中に置かれていることが多い。『ソナチネ』では抗争に破れて沖縄まで逃げてきたヤクザが主人公だし、『BROTHER』では主人公はアメリカまで逃げている。負け戦とわかっていながらも相手に立ち向かっていくロマンがそこには共通している。『アウトレイジ』、そしてその続編である『アウトレイジ ビヨンド』にもその要素はある。

しかし、『アウトレイジ 最終章』は自ら抗争の渦中へ飛び込んでいく。それは燃え盛る火の玉のようだ。
そして最後には自分自身をも燃やし尽くしてしまう。

これ以上なく膨らんだ事態を本当にあっけなく終わらせるのだ。

「死」への向き合い方

先ほど『アウトレイジ』シリーズはキタノ映画とは違うと書いたが、この死への淡々とした向き合い方はキタノ映画に共通している。
北野武監督は幼い頃から暴力を見てきた。本当にあっけないほど簡単に人は死んでしまう、映画でよくあるようなパンチの応酬はリアルではないと北野監督は著書で述べている。
第一作目の『アウトレイジ』では「どのように人を殺していくか」が先にあり、それを補完する形でストーリーが出来ていったという。その言葉通りに登場人物の死に様は一風変わった独特なものも多い。『アウトレイジ ビヨンド』、そして今作『アウトレイジ 最終章』もそうだ。
だが、それでも死は唐突に訪れ、一瞬で去っていく。死や暴力を過度にエンターテインメントにしないのは北野武の美学でもあるのだろう。
「暴力団を賛美した表現をしたことはなく、拳銃を使った人間は幸せになれないようなシナリオにしている」そうヤクザ映画について述べている。

今作のキャッチコピーは「全員暴走」。その結末がどうなるか、是非その目で確かめてほしい。

評価・レビュー

74点

作品情報・キャスト・スタッフ

2017年製作/ 104分/日本

監督
北野武

脚本
北野武

主演
ビートたけし
西田敏行
大森南朋
ピエール瀧
大杉漣
松重豊
白竜
名高達男
光石研
原田泰造
中村育二
津田寛治
金田時男
池内博之
塩見三省
岸部一徳

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ロックミュージックに欠かせないエフェクター、OVERDRIVE。
それはクリーンな音に歪みを与え、それまでの音楽に新しい可能性をもたらした。
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