『容疑者Xの献身』ガリレオシリーズ随一の傑作!

概要

『容疑者Xの献身』は2008年に公開された西谷弘監督、福山雅治主演のミステリー映画。ドラマ『ガリレオ』の映画化第1弾となった作品だ。

原作は東野圭吾の同名小説だが、原作での主人公は湯灌ではなくむしろ石神とも呼べる仕上がりになっている。

あらすじ・ストーリー

弁当屋「みさと」を営む花岡靖子。元ホステスだった彼女はシングルマザーとして、中学生の娘を女手一つで育てていた。

しかし、ある日靖子の元に別れた元夫の富樫が訪れる。以前から靖子につきまとい、金の無心をしていた富樫。ホステスから職を変え、住所を変えてもなお、富樫は靖子の居場所を見つけ、再び金の無心を行う。

家にまで押しかけ、さらには美里に暴力を振るおうとする富樫を靖子はやむを得ず殺害する。

靖子は自分がしてしまったことと、これからどうするかに戦慄し狼狽するが、そんな中、彼女の部屋を訪ねてくる者がいた。

それは隣人の石神だった。石神は靖子のごまかしを見抜き、殺人事件が起きたことを看破する。

そして石神は数学者としての天才的な頭脳で、花岡親子を守ろうとするのだった。

感想・解説

テレビドラマも少しヒットするとすぐに劇場版か作られ、片っ端から映画になっていく。

ビジネスとしては定石ともいえるやり方だろう。

ただ、それで興行的にも評価成功した作品といえば、案外数少ないのではないかと思う。

そんな中でも『容疑者Xの献身』は成功した一作と呼べるのではないだろうか。

いい意味で映画らしい映画だと思う。よく劇場版になると、とたんに海外ロケを実行してみたり、国際色豊かなキャストにしてみたりする作品が多いが、個人的にはそんな表面的な豪華さやエンターテインメントは全く求めていない。

むしろ、1時間のドラマ枠では描ききれない、深い人間ドラマや、細やかな演出などが本当の意味での劇場版の魅力ではないか。

今どき海外の風景など、いくらでもYouTubeで観れる時代なのだ。

さて、『容疑者Xの献身』はテレビドラマの『ガリレオ』シリーズの映画版第一作目だ。『ガリレオ』の映画版は2022年に公開された『沈黙のパレード』まで今のところ三作あるが、やはりその中でも傑作は『容疑者Xの献身』だと思う。

もともと原作となる小説も直木賞を受賞していることもあり、そもそも他の『ガリレオ』シリーズの長編よりも出来がいい。

例えば、『禁断の魔術』では湯川と若者の師弟関係が描かれ、また『透明の螺旋』では、家族がそのテーマになっている。

『容疑者Xの献身』のテーマは愛だ。

より人間としての根源的なテーマだけに、何とも言えない哀しみと切なさがある。

原作における石神は、太い体に丸い顔、薄い髪に糸のように細い目となかなかの醜男っぷりが伺えるが、劇場版の堤真一の演技も本作の大きな見どころの一つ。

本来、堤真一はブサイクとは真逆の立ち位置にいる俳優ではあると思うが、だからといって、浮世離れしたほどの美貌ではない。親しみやすさのある風貌でもあると思う。

その部分を本作では遺憾無く醜男側に全振りしているのだ。常に猫背でボソボソ喋り、目は細く無表情、話によると役作りとして髪も薄くしたらしい(どう見てもフサフサではあるが)。

ただ、原作でははっきり醜男として表現された石神をスマートな堤真一が演じることに批判の声もあった。だが、そんな声にも動じず、堤真一は彼なりの石神を好演してみせたと思う。

まぁ相手役が福山雅治では、横に並んで見劣りしない男を探すほうが酷だろう。

原作の『容疑者Xの献身』では、石神が事実上の主人公だが、映画でも石神の存在感は湯川を完全に食っていた。それも堤真一の演技力あってこそだろう。基本的には原作に忠実に映像化されていると思うが(それでも草薙の代わりをドラマ版に引き続き柴咲コウ演じる内海薫が担当していることや、湯川と石神の共通の趣味が登山などの変更点はある)、監督の西谷弘は堤の演技に感銘を受け、原作では時系列だった殺人から石神が関与し、対応策を練るまでを、あえてクライマックスに持っていき、観客の石神への不信感を煽る方向に切り替えたという。

冒頭で劇場版の魅力はドラマが深掘りされることだと述べたが、エンターテインメント要素が満載だったテレビドラマの『ガリレオ』に比べて、『容疑者Xの献身』では湯川の苦悩や哀しみが多く描かれている。

堤真一と違って、福山雅治は本作で何らかの賞を受賞した訳では無いが、明らかに『ガリレオ』より数段上のレベルの演技だ。

テレビドラマ未見でも本作を鑑賞する上では全く問題ない。

独立した一つの映画として満足できる一本だと思う。

評価・レビュー

85点

やはり『容疑者Xの献身』は頭一つ飛び抜けている。点数には悩む。今作もレビューを書くタイミングによっては90点を超えていたかもしれない。

『真夏の方程式』『沈黙のパレード』、この2つにはないものが今作にはある。

それは哀しみだ。亡くなった者ではなく、今を生きる者の哀しみが克明に伝わってくる。

原作の「人は生きているだけで時には誰かを救っていることもある」という言葉に胸を打たれる。石神にとって花岡親子はまさにその通りだったのである。花岡親子が日々を生きているだけでも、石神には生きる糧になっていた。

そして、同時にこれは叶わない愛の物語でもある。しかし。その愛にどこまでも殉じていけたなら、それはそれでまた幸せなことではないか。

石神はその高みにまで達していたのだと思う。

湯川は本作以降の作品で、この事件の顛末を花岡親子に話したことを悔いているが、話した理由は、秘密のままにしておいては石神の献身が報われないと思ったからだ。石神がどれほどの犠牲を払ったかを花岡靖子は知るべきだと考えたからだ。

しかし、それは話した所で誰も救われない結末を迎えてしまう。そして、実際にそのとおりになってしまった。

石神の仕掛けた謎を湯川は解いた。だが、この一点において、石神は湯川にも達し得ない、愛の境地に達していたのだろう。

作品情報・キャスト・スタッフ

2008年製作/128分/日本

監督
西谷弘

脚本
福田靖

主演
福山雅治
柴咲コウ
北村一輝
渡辺いっけい
品川祐
真矢みき
松雪泰子
堤真一

 

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