『フロントランナー』政治家に本当に必要なものは何か?

概要

『フロントランナー』は2019年に公開されたジェイソン・ライトマン監督、ジェイソン・ライトマン主演の伝記映画。

次期大統領最有力候補と言われながら、あるスキャンダルにより失墜していった実在の政治家、ゲイリー・ハートのエピソードを描いている。

派手に宣伝されるようなエンターテインメント作品ではなくむしろ地味な作品なのだが、この映画は私たちに有権者として何を基準に政治家を判断するのかという問いを突きつけてくる作品だ。

あらすじ・ストーリー

1988年の大統領選挙。ケネディの再来と呼ばれた若き政治家、ゲイリー・ハートは甘いマスクと溢れるカリスマ性で一躍次期大統領の最有力候補(フロントランナー)へと躍り出た。

このまま順調に進むかと思われた選挙戦だが、マイアミ・ヘラルド紙が報じたハートの不倫スキャンダルによって、ハートは徐々に追い詰められていく。

感想・解説

日本では知名度がほとんどない政治家(Wikipediaにさえ記載がない!)、ゲイリー・ハートを主人公にした映画だ。

今の時代にこの映画はとても重要な意味を持つと個人的には思っている。

劇中でも言われているように、ケネディの頃には愛人問題などの政治家のプライベートな部分はその人間の政治的な資質とはまた別のこととして判断されていた。

だが、今は違う。不倫や浮気など、モラルに外れたことをすれば、それがそのまま辞職にさえもつながってしまう。

そんな風潮が本当にいいことなのか、甚だ疑問ではある。もちろん、品行方正さが求められる職業もあるだろう。例えばテレビタレントはイメージが大事だ。テレビの中だろうが、プライベートだろうが、良くない言動がメディアや人の目に晒されてしまえば、それでその人のタレントとしての価値は下がってしまう。

もちろん、政治家も有権者から選ばれる以上、イメージも大事だろう。しかし、それ以上に見るべきものはないのか?とも思う。なんせ日本は「イメージが良さそう」と言う理由で支持率が左右されてしまうそんな国だ。

個人的にはメディアも政治家をテレビタレントと同列に捉えてはいけないと思う。

『フロントランナー』はそのことをあらゆる角度から複合的に突いてくる。

果たして悪いのは国民か、マスメディアか、ゲイリー・ハート本人か。

タイム誌は「1960年代に性的タブーが崩壊したことで、性的な話題に関する一般的な議論が受け入れられるようになってきた。それと同時に、女性の地位の変化に伴い、社会は結婚した男性の不倫には寛容ではなくなっている」と世間の変化について書いている。

また、原作である『All the Truth Is Out: The Week Politics Went Tabloid』を書いたマット・バイはその動機として「現代はハートの物語が忘れられつつある一方で、毎日のように物事の本質よりもスキャンダルが勝ってしまっているからだと。そしてこの物語がかつてないほどに現実の物語につながっていることに気づいたからだ」と述べている。

これが全てだろう。スキャンダラスなニュースの裏にある本質こそ、私たちが本当に見るべきものなのだ。

評価・レビュー

80点

正直に言えば、映画の完成度として観た時にはそこまで目を見張るものはないように思う。同じようなテーマを描いた『スーパーチューズデー世界を売った日』の方が遥かに緊張感やドラマとしての起伏はあるように思う(まぁ向こうは架空の物語ではあるが)。

なのでこの点数にはした。

しかし、このの実話は有権者であれば是非観ておくべきだ。

日本では中々作られることのないタイプの映画だと思う。

作品情報・キャスト・スタッフ

2018年製作/113分/アメリカ

監督
ジェイソン・ライトマン

脚本
マット・バイ
ジェイ・カーソン
ジェイソン・ライトマン

主演
ヒュー・ジャックマン
ヴェラ・ファーミガ
J・K・シモンズ
アルフレッド・モリーナ

>CINEMA OVERDRIVE

CINEMA OVERDRIVE

ロックミュージックに欠かせないエフェクター、OVERDRIVE。
それはクリーンな音に歪みを与え、それまでの音楽に新しい可能性をもたらした。
CINEMA OVERDRIVEもまた「個人的な評価」という歪みによって、映画の捉え方・楽しみ方を広げていきたい。