概要
『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』は1997年に公開されたSF映画。監督・脚本はスティーヴン・スピルバーグ、主演はジェフ・ゴールドブラムが務めている。原作はマイケル・クライトンの『ロスト・ワールド』。
1993年に公開された『ジュラシック・パーク』の続編であるが、内容は映画と原作では大きく異なる(もともと映画化が先にあり、クライトンの原作は後から決まったため)。
あらすじ・ストーリー
ジュラシック・パークの惨劇から、絶滅したと思われていた恐竜たちが繁殖しているのではないかとの情報が入る。
前作で辛くも生き延びたイアン・マルコムはジョン・ハモンドから連絡を受ける。そこで上記の件を実際に確かめてほしいと依頼される。実はジュラシック・パークが建設されていた車とは別に、サイトBと呼ばれる、実質的に恐竜を繁殖させていた島が存在したのだ。恐竜に襲われる恐怖を経験したマルコムはその依頼を断る。
しかし、マルコムの恋人であるサラ・ハーディングはマルコムより一足先にすでにサイトBに辿り着いていた。
マルコムはサラを救出するため、サイトBへ向かうことにする。
感想・解説
前作『ジュラシック・パーク』はCGの可能性を飛躍的に高め、また人間による生命の創造への批判という倫理的なテーマも扱った名作であった。
しかしながら、その続編はお世辞にも名作とは言い難い。スティーヴン・スピルバーグの力量を持ってすれば、より深いテーマを作品に持たせることも、より整合性のとれた物語に洗練することだってできたはずだ。
『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』はそれらを横においてでもエンターテインメントとしての映画を追求した作品ではないかと思う。
『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』と同じ年にスピルバーグのもう一つの監督作『アミスタッド』が公開されたが、こちらは黒人奴隷の裁判をテーマにした社会的な作品であった。いわば2つの作品の間でエンターテインメント作品か、社会派の作品なのか、それがはっきりと区分けされているようにも感じる。
何しろ、『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』では主人公サイドの人間が捕えていた恐竜の檻から恐竜を開放し、インジェン社の恐竜捕獲部隊を混乱に陥れるなど、エコ・テロリストとほぼ変わらない行動をとっている。トリケラトプスなど重量級の恐竜たちも檻から逃げ出しているが、明らかに死傷者も出る羽目になっただろう。
だが、そこが真剣に映画の中で省みられているわけではなく、単にエンターテインメント的なパニック描写の材料でしかないところが作品としての評価を貶めている一因だろう。
また、エンターテインメント的な描写でいえば、その最たるものが後半のティラノサウルス・レックスがサンディエゴに上陸するシーンは原作小説には全く描かれていない場面だ。
このシーンでは、ゴジラ映画を彷彿とさせる、逃げ惑う群衆と町中を縦横無尽に暴れまわるティラノザウルスが描かれる。
『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』の公開は1997年だが、その翌年にはローランド・エメリッヒが監督した『GODZILLA』が公開される。スピルバーグは子供の頃からのゴジラファンとしても知られているが、『GODZILLA』の監督のオファーは固辞している。表向きはオリジナルの『ゴジラ』を汚す真似はしたくないとのことだったそうだが、実際にはゴジラ映画を撮ることへの未練があったのではないか?
それがこの原作にないサンディエゴのシーンに表れているように思えてならないのだ。
ちなみにこのサンディエゴのシーンがエンターテインメント最優先と思えるほど粗が多いシーンでもある。
ティラノザウルスのような超重量級の動物が庭を歩いていても誰も目を覚まさない描写や、それまで100メートルくらいの距離で主人公を追っていたはずなのに、主人公らが逃げ切るまで、不自然に途中から全く追いつけなくなるティラノザウルスなどがそうだ。
エンディングはジョン・ハモンドによる「生命は道を見つける」という言葉で締められているが、それは前作でも繰り返されたテーマではなかったのか?
人間は恐竜たちに干渉することなく、自然に任せていれば、生命は続いていくという文脈なのだが、やはり作品のメッセージとして目新しさはない。
評価・レビュー
71点
エンターテインメント作品として見た場合はもっと高いスコアでもいいのだが、全体的にやはり、粗の目立つ作品であることは確かだ。
作品情報・キャスト・スタッフ
1997年製作/129分/アメリカ
監督
スティーヴン・スピルバーグ
脚本
デヴィッド・コープ
主演
ジェフ・ゴールドブラム
ジュリアン・ムーア
ピート・ポスルスウェイト
アーリス・ハワード
ヴィンス・ヴォーン
ピーター・ストーメア
リチャード・シフ
ヴァネッサ・リー・チェスター
リチャード・アッテンボロー