『魔女がいっぱい』つまらないではないが、物足りなさを感じる作品

概要

『魔女がいっぱい』は2017年に公開されたロバート・ゼメキス監督、アン・ハサウェイ主演のファンタジー映画。原作は ロアルド・ダールの児童向け文学『魔女がいっぱい』を原作としている。
脚本・製作にはギレルモ・デル・トロが名を連ねている。新型コロナウイルスの影響でアメリカでは劇場公開されず、HBO Maxでの配信となった。

あらすじ・ストーリー

交通事故で両親を失った主人公の少年は祖母の元へ預けられる。祖母は魔女に詳しく、幼いころに友人が魔女によって鶏にさせられた経験から魔女の見分け方や、魔女に決して近づかないことなどを教わる。
ある日、祖母と一緒に高級ホテルに泊まることになった少年は大魔女たちの会合の様子を盗み見てしまう。
大魔女に存在を知られてしまった少年はネズミに変身させられてしまうが、同じくネズミにされた子供たちと協力して、大魔女の計画を阻止しようと奮闘する。

感想・解説

ハリウッドにおける年齢差別をメリル・ストリープはこう言い表している。
「40歳になったとたん、魔女の役を3つもオファーされた。」
40歳を超えた男性は主役として若い女性とラブロマンスを演じているのにである。

この年齢差別という問題は今現在においても存在するようで、マギー・ギレンホールも「37歳になったとき、プロデューサーから相手の恋人役には年を取りすぎていると言われた」と答えている。相手役の男性の年齢は55歳だったのに。

さて、今回紹介する『魔女がいっぱい』だが、そのような年齢差別を皮肉るように40歳を迎ようとするアン・ハサウェイが嬉々として魔女役を演じている(『魔女がいっぱい』のアメリカ公開時、アンハサウェイは37歳)。
原作は子供向けの絵本であるから、映画自体も対象の年齢層は低めに設定してはあるのだが、そんな中でもアン・ハサウェイの女優としての魅力と彼女自身の強さが際立った作品になっていたのではないだろうか。

まずなんといっても彼女の優れたコメディエンヌっぷりが光る。映画のターゲット層から言ってもあまりグロテスクな表現はできないのもあるだろうが、その分彼女の声色や抑揚、表情の豊かさが印象的だ。
そもそもアン・ハサウェイがブレイクしたのもコメディエンヌとしてだった。
彼女のブレイク作『プリティ・プリンセス』では田舎の地味な女子高生が一夜にして王女になる物語だった。当時はまだ10代だったアン・ハサウェイだが、今でも『プラダを着た悪魔』や『』などに出演しては衰えぬコメディエンヌぶりを見せてくれている。
また、アン・ハサウェイは時折現実社会での自分自身を投影したような役をあえて演じる強さも持っている。アンヘイターとよばれる、アン・ハサウェイ嫌いのアンチが急増したころには『シンクロナイズド・モンスター』という作品に主演した。この作品でアン・ハサウェイは自身の炎上記事で会社を辞め、彼氏のもとから田舎へ引っ越した元Webライターを演じている。
アンヘイターもネットにアン・ハサウェイへのヘイトを並び立てた。アンヘイターの存在を受け入れ、それでも自分は自分なのだと言い切る強さがある。
今作もそうではないだろうか。40歳になる自分を受け入れ、年齢に対して差別的な目線を向ける世間に対しての挑戦を真っ向から示して見せた。

アン・ハサウェイは2018年の映画『オーシャンズ8』でもかつての自分を反映したような「嫌われものセレブ」のダフネ・クルーガーを演じている。
彼女は過去のバッシングを振り返ってこう述べている。
「でももし誰かが言ったことが響いたときには、自分のためにそれを取り入れたわ。そういう意味では成長する上でたくさんの近道が得られたと思う。自分で選んでそういうことを経験したわけではないけれど、それに感謝している」。

評価・レビュー

52点

『フォレスト・ガンプ』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のロバート・ゼメキスとギレルモ・デル・トロがタッグを組んだということで大いに期待して観に行った作品だったが、あまりに期待しすぎたのか、個人的には期待外れと感じた作品だった。

原作は子供向けの絵本だったからだろうか、特にヒネリもなく、刺激もなく淡々と物語が過ぎ、終わっていった印象だ。

作品情報・キャスト・スタッフ

2020年製作/104分/アメリカ

監督
ロバート・ゼメキス

脚本
ギレルモ・デル・トロ
ロバート・ゼメキス
ケニヤ・バリス

主演
アン・ハサウェイ
オクタヴィア・スペンサー
スタンリー・トゥッチ
クリス・ロック

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