『ラヂオの時間』

概要

『ラヂオの時間』は1997年に公開された三谷幸喜監督、唐沢寿明主演のコメディ映画。三谷幸喜の初監督となる作品である。

あらすじ・ストーリー

ラジオ弁天ではラジオドラマ『運命の女』のリハーサルが行われていた。『運命の女』は平凡な主婦、鈴木みやこがラジオドラマの脚本コンクールに応募したシナリオが採用されたものだった。

リハーサルは問題なく終わるも、役者の一人、千本のっこが自身の役柄について「律子」という役名の変更を求める。のっこに頭が上がらないプロデューサーの牛島はのっこの役名を律子からメアリー・ジェーンに変更することを許してしまう。そのわがままが発端となり、のっこや俳優たちのわがままやアドリブによって、本番中にも関わらず、ドラマのシナリオは当初のものと大きくかけ離れたものへと変わっていく。

感想・解説

個人的に初めて三谷幸喜の名前を知ったのは『ラヂオの時間』だったと思う。まだ小学生の頃だ。

三谷幸喜は元々東京サンシャインボーイズという劇団の出身であるが、『振り返れば奴がいる』で、テレビドラマの脚本家としてデビューする。

喜劇作家である三谷幸喜の作風とは裏腹に、このドラマでは現場で脚本が書き換えられ、シリアスなドラマとして放送されてしまった。

劇団では脚本や演出など細かいところまでコントロールできるが、テレビドラマはそうではなかった(余談だが、プロデューサーの石原隆は三谷幸喜が喜劇専門の脚本家であることを知らずに彼にオファーを出してしまったという)。

この苦い経験を元に作られたのが『ラヂオの時間』。元々は東京サンシャインボーイズの戯曲として作られたもので、本作はその映画版となる。

久しぶりに今作を観返してみたが、変わらずに面白い。今や世界的な俳優となった渡辺謙があれほどコミカルなチョイ役で出演しているのも見どころの一つだろう。

だが、昨今の原作者と脚本家のゴタゴタのニュースに重ねて観てしまう部分もかなりある。

三谷幸喜自身は『振り返れば奴がいる』の脚本を書き換えられてしまったことに関してショックを受けたという。

多少の改変はあるにせよ、原作者としては変えてほしくないポイントもまたあるはずだ。

『ラヂオの時間』でもそのポイントを変えようとした千本ノッコに、講義する形で原作者のみやこはブースに立て籠もる場面がある。

ディレクターの工藤が思いを巡らせ、無理矢理にでもみやこが望んだハッピーエンドにラジオドラマのストーリーを戻していくところが本作の見せ場だ。

スリリングさとコミカルさを同時に描いていく。三谷幸喜の才能と手腕が処女作にして遺憾なく発揮されている。

評価・レビュー

94

ただの喜劇ではなく、なんとも言えないリアルな苦みがある。

エンディングで牛島は工藤にこう言う。

「俺は時々空しくなる。みんなに頭下げて、みんなに気を遣って、何がしたいんだ俺は!」

工藤は言う。「自分で言ってたじゃないですか、いつかみんなが満足できるものを作るって」

「そんな日が来るのか?」牛島は工藤の言葉に半信半疑だが、それでも制作者が牛島のような想いを持ってくれていることを祈りたいと思う。

例え原作通りにいかなくても、理不尽な改変を余儀なくされようとも、それでもみんなが満足できるものを作る。

それは制作者も内心このような気持ちを持っていてほしいという三谷幸喜の願いだと思う。

その気持ちがあれば、きっと私達の現実世界も変わっていくはずだ。

作品情報・キャスト・スタッフ

1997年製作/103分/日本

監督
三谷幸喜

脚本
三谷幸喜

主演
唐沢寿明
鈴木京香
西村雅彦
戸田恵子
細川俊之
井上順

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ロックミュージックに欠かせないエフェクター、OVERDRIVE。
それはクリーンな音に歪みを与え、それまでの音楽に新しい可能性をもたらした。
CINEMA OVERDRIVEもまた「個人的な評価」という歪みによって、映画の捉え方・楽しみ方を広げていきたい。